3つのポイント『三遠』
サー:ウーノはレオナルド・ダ・ヴィンチを知ってる? ウー:モナリザを描いたあの人でしょ。 サー:そう、そのダ・ヴィンチの言葉からはじめていこう。当時ダ・ヴィンチは音楽家の演奏を聴いたあとでこんなことを言った。 「絵画は音楽よりも優れた芸術だ。なぜなら音楽はその場限りの芸術であるが、絵画はずっと残っていく芸術だからだ。」 だいたいこんな感じのことを言ったらしいんだけど、それって今でもあてはまると思う?
う〜ん、、確かに絵画は普遍的で素晴らしいものだけど、現代の音楽がこれほどポピュラーになったということはその常識は決して正しい答えではないと思うわ。
うん、それも正しい答えだし、当時のダ・ヴィンチの感性がそう捉えたならその意見もまた正しい答えなのだろう。だけどその答えが覆ったのはなぜだと思う?
なぜって、、、なんでかしら?
ヒントはダ・ヴィンチが言った言葉。そして当時のテクノロジーと今のテクノロジーとの違い。
う〜ん。。。今の音楽はその場限り、、じゃないわ。そう、音楽はいつでも聴けるようになったんだ! それはなぜかといったら、、、音声を記録できる技術が生まれたからよ!!
その通り。 当時のダ・ヴィンチや一般市民の感覚は音楽より絵画の方が優れた芸術に思えたのは事実かもしれない。だけど現代においてなぜそうとは言いきれないかといったらそれを保存して再生する方法が生まれたから。つまりテクノロジーの進歩が芸術の価値観をも変えていったということが大きな理由だと思うんだ。
へぇ〜、それでその話と文章に声を付けようとしたのとどんな関係があるっていうの?
サー:それはね―― ロッキー:――どえりゃぁ鈍いカラスだなぁ。ようするに音楽がテクノロジーの力によって進歩したのなら、それは詩や文学作品でも可能じゃねぇかってことだろ? サー:(こ、こいつ結論から入りやがった、、)
なんだ。 それじゃぁもう答えは出てるじゃん。 日本語のリズムを最大限に生かした文体もつくったし、文章と一緒に朗読も聞けるようになった。 ここまでやっても満足できないの?
あぁ。ここからが本当に大切なところなんだ。 ここで満足したら個人の趣味とそう変わりはしない。 これはそこで落ち着くためのアイデアではないんだ。
へぇ〜、そうだったんだ。 じゃぁ一体どこらへんを目当てにしているわけ?
ポイントは3つ。 ダ・ヴィンチの話にちなんで彼が自分の芸術の中に取り入れていた手法で表現すると『三遠(さんえん)』のラインを広げていくことになる。
さんえん、、ってルパン?
それは三世。 三遠というのは絵画や図形の遠近法で使う言葉のこと。 サーチ、『三遠』の意味の検索文を持ってきて!
さんえん【三遠 Sān yuǎn】 中国山水画の構図理論。高遠・深遠・平遠をいい、視点の位置によって異なる三つの構図形式を、北宋中期の郭熙が《林泉高致》の中で理論的にまとめたもの。高遠は山の下から頂を仰ぎ見る形式、深遠は山の前から後をのぞきうかがう形式、平遠は近山から遠山を望み見る形式をいう。これらによって、それぞれ山の高さ、渓谷の深さ、平野の遠さが強調され、特に平遠は、遠い距離感を表現する必要上、大小遠近法が併せ採用され、西洋の遠近法(透視法)に近いものがある。
つまり、これから未完文楽団で実践していくアイデアの使い道は詩芸術の存続に関わる高さ・深さ・遠さの3つのラインを広げていくために使ってほしいんだ。 わかったかな?
アンタね、ゴメンで済んだら警察がいらないのと同じで、そんな説明で済んだら詩人はいらないわよ。 ハッキリ言って言葉だけじゃよくわかんないからロッキー、アタシでもわかるような画像に変身してちょうだい!
ロッキー:ちゃんと残業代付くんだろうなぁ!! ウー:あれ? なんか手袋の指の先、穴が空いてない? こんな仕事で残業代なんて出せるわけがないでしょう! じゃぁサーボぉ、この画像を使って説明してちょうだい。
オッケー。 ちょっと指が曲がり切れていないんだけど、 1の『高さ』は文学的な進歩と価値を高めること。 2の『深さ』は生活的な認識と意義を深めること。 3の『遠さ』は社会的な連帯と役割を求めること。 この3つのラインは詩だけではなく、どんな仕事においても適用できる求むべき指標でもあるんだよね。
ようするに今より少しでも詩を魅力的なものにしたり、現代人にフィットさせたり、それが他の人やそれ以外の物事につながったり広がっていくようにしたいってわけね。 確かに今自分が取り組んでいる事に対してこの3つを思い描けばとってもいい精神的なコンパスになると思う。 けれどこれ、詩に当てはめることができるのかしら?
サー:問題はそこなんだ。そしてここからが本題なんだ。この詩ってやつでどうやってそれを達成していくのか―― ウー:――そこのところが困難な問題であり、人生を楽しくしてくれる課題でもあるのよね。 サー:あぁ、タケルが言う冒険好きっていうのはこういう意味もある。けれども正直、言語のみで表現していく媒体でそれを果たすことは難しい。それは長い歴史が物語っている。 ウー:その現実を踏まえ、それを認めた上でこの負け戦にこれから活路を見出していこうっていうわけ?
だって仕方ないじゃないか。 タケルは詩によって生かされたんだ。その恩返しもしないままただ生きてただ死んでたまるかってんだ!
いいわね、その勇ましさ! だけど女は現実的な生き物よ。夢や理想、プライドや綺麗事だけでメシが食っていけるほど世の中は甘くないわ。 詩なんて本屋さんでもコーナーがあるかないかの規模だし、図書館でも小説との扱いとは天と地ほどの差があるし、例え声を付けたところで若者や世間一般に受け入れられるようになるとは思えないんだけど。 そんなことを口にするってことはなんらかの勝算があるってことでしょう?
もちろんそれはない!
そうでしょう! あるからやってるんでしょう、、って、えぇ!? な、ならなんでこんなことをやってんのよ。。。
ウーノ、キミは負ける確率の高い戦いだからってそこであきらめていいと思っているのかい? ボクはこう思うんだ。 例え神さまや予言者から「あなたでは一等賞にはなれない」と言われたからって走るのを止めたり、親しい友人や赤の他人から「あなたでは主役にはなれない」と教えられたからって脇役になることすら辞めてしまってはいけない。 確かに詩芸術は加工の難しい化石のように思われている表現のジャンルかもしれない。 だけど磨き方や削り方を変えれば宝石みたいにキレイになったり光って見えたり、思わぬ使い道や価値が生まれるようになるかもしれないだろう?
だからテクノロジーの力を借りて文章に声を付けようとしたってわけね。 サーぼぉ、さっきはあんな現実的なことばっかり言ってごめんなさい。アタシにゃぁ今、アンタが生まれてはじめてかっこよく見えているわよ。。。
ウーノが言っていることも正しいよ。 すでにそれを達成し、あらゆる分野の優れた人材や能力を集結させた音楽や舞台、映像作品やゲームのような素晴らしい媒体と比べたらどんなにがんばっても一生敵わないと思う。 色んな人が多く関わったり手が加わっているものほどより良いものが生まれていく。そんな世界でも生き残ることが困難な時代ならなおさらさ。 だけど詩にできることがもう残されていないかと言ったらそうではないんだよね。
そうではないっていうことは、詩っていう手段を使わなくては人や社会に伝えたり届けられないことがあるってわけ?
それはある。 確かにあるんだ。いつかその話もしようと思うけど、今日はもう時間がないからこれくらいにしておくよ。
えぇ。 とにかくこれからどうしたいのかがよくわかったわ。 さっき言った3つのポイントを意識しながらそこんところを進んで切り開いていけたらいいわね!
。。。あ、いや、タケルはおもしろおかしければそれでいい人だし、生まれも育ちもすごく悪いから詩を書き続けることはもうそんなにできないと思うし。。。 だからこうやって公開しておけば「いつかどこかで誰かが自分の夢を叶えてくれるだろう!」って思って言ったりやったりしているんだけど。。。
ハァ!? まさか自分の力じゃなくって他力本願でいこうってわけ? さっきまでアンタやタケルもたまにはやるじゃんって思ってたのにこんなオチで終わるつもり!? そんなのアタシが許さないわ。 今日のまとめにもってこいの展開ね。 ロッキー、さっそく朗読ファイルに変身してタケルが持っている詩人の力を見せつけてやりなさい!
おっシャー! とびっきりの変身でサービスしてやるぜ!!
サー:・・・・・・・・・ ウー:・・・・・・・・・
サーチ:・・・・・・・・ ロッキー:(なんてこった。はじめてで緊張してNG集に変身しちまったぜぇ)
サーぼぉ、前言撤回するわ。 さっき言った事は忘れてちょうだい。 詩や日本語文化の未来はもっとちゃんとした人に望みを託した方がいいと思うわ。。。
。。。まぁ、こんな感じの人だからさ、とにかくやれるときにやれるだけやりながら気楽に気長にやっていこう。
ウー:こんな調子じゃ先が思いやられるけどね。 サー:そこはご愛嬌ってことではじめていこうか。 ウー:小さな歌の―― サー:――文楽。 双子:よろしく!