休憩中:『とりあえず飲んで食おう!』
それにしてもゲーテのリア充(現実生活が充実している人の省略)っぷりは半端なかったわ。法律家で詩人で小説家で劇作家で政治家で科学者!? アナタどんだけ夢と現実の世界を行き来していたのよ。 今ほど職業が専門的に特化している時代でなかったからっていうのはわかるけど、こんなにものびのびと生きられるっていうのは見ていて清々しいものがあるわ。 それでいて恋愛も山ほどして、文学者や王様の友達をつくって最後なんて隣のお墓で眠っちゃったりして。「オレら、死んでも友達だぜ!」みたいな。。。 こういう生き方や考え方こそ窮屈で人間関係の希薄な現代社会を生きる人たちに見習ってほしいわね。 人間は人間らしく生きるべき。 そう生きられる可能性があるかもしれない。 ゲーテから学べることはこういうことなのかもしれない。 だけどね。。。 カッカッカァ。。。 カ〜ッカッカッカァ!!
サー:。。。。。。。。 ウー:カッカッカァ〜、あ、あらお帰り。なに、そんな驚いた顔して。 サー:さっきからウーノが不気味な鳴き声を上げてるから他のお客さんが見てるんだよ。。。 観客:ザワザワザワザワ。。。 ウー:いいじゃない、それくらい。いざとなったらアタシの必殺技でここにいる4〜500人くらい一瞬で場外に放り出してあげるから。それよりその美味しそうなのはなに? サー:ビールとソーセージ。さっき売店で売ってたのを買ってきたんだ。 ウー:うっひゃ〜。ありがと〜。それじゃぁ、これ食べながら休憩時間を過ごしましょ! サー:ところでウーノ、さっきはあんな鳴き声を上げて。。。一体どうしたんだい?
あれはね、アタシの中のダークウーノの叫び声。さっきまでなんか本とwikiの資料を合体させたような劇を見ていたじゃない。 でも、それだけじゃぁゲーテのことをもっと深く知ったことにならないじゃない。 このあとの作品紹介で詩人としてのゲーテを知る前にさ、この休憩時間にアタシたちでさ、彼ら偉大な詩人たちの人間味溢れるところの話をしようじゃないっていう笑いだったの。
ようするにゴシップネタで盛り上がろうっていうわけだね。
カッカッカァ! その通ぉ〜り! アタシたちのような普通の鳥はね、天才やスターといった才能溢れる人たちの中に隠された人間味を知りたくて仕方ないの。 なぜなら、ゴシップの本質というのは情報を得ることによって少しでもいいからその人に近づきたい、そこにある何かを取り込みたいっていう深層心理の現れだからなのよ。
なるほど。 ゴシップっていったらよく人の揚げ足を取って、 「この人はこんなもんだ。自分と同じじゃないか!」 っていうモノに思われがちだけどさ、 それを正しく使って伝えることができれば、 「この人もこうなのか。自分と変わらないじゃないか」 っていう気持ちを抱かせることができるもんね。
そう。で、それは決して感情の逃げ道として抱く気持ちではなくって、自分も周りと変わらないからこそ理解できる心のスペースもあるっていうことに気付いてほしくって。 そういうスペースを持つことができれば、あまりにも大きな器を持った人たちの思想の塊、むつかしそうな詩作品に対して、自分で考えて理解する助けになるはず。 そこまでいけばもう、2部がはじまる頃には今を生きる現代人のみんなにもゲーテの作品だって理解しやすくなっているはずってなぁ〜わけよ!
よし! そこまで意義があるならこの話、のった。 ていうかウーノ。。。もうビール飲んじゃってるの?
あたりまえでしょう。遅れちゃったけれど乾杯!! ソーセージもんま〜い。モグモグ。。。それじゃぁゲーテのざっくばらんなネタで盛り上がっていきましょう。 PROSIT!(乾杯!
PROSIT!(乾杯!
休憩中:『巨人は巨人を引き寄せる』
ウー:しっかしゲーテの人生って案外退屈だったわね。 サー:えぇ!? ウ、ウーノ飲み過ぎ? さっきまで素晴らしいって言っていたじゃん!! ウー:やぁね〜、そういう意味じゃなくって、詩人の人生としては平凡だったというか。。。なんか安定感がありすぎてあと一歩コクが足んなかったわ。このビールのように(グビグビ。。 サー:ボクには十分波瀾万丈だったように見えたけどなぁ。。。特に歴史に名を残すような人とたくさん出会えたところなんて、スゴい引力のような運命力の持ち主だなって思った。 ウー:ふ〜ん、例えばどんな人よ?
サー:ゲーテと縁のあった偉人といえば、 『モーツァルト』 ゲーテの詩に曲をつけた天才音楽家。 『シラー』 墓まで一緒になった詩人・作家の親友。 『ナポレオン』 ゲーテの大ファンだった皇帝。 『ウィルヘルム・グリム』 童話をまとめまくったグリム兄弟の弟。 『ベートーヴェン』 ゲーテと気が合わなかった天才音楽家。 他にもいっぱい凄い人に会ったり、影響を与えたりもしたはずだよ。 ウー:ドイツの超人大集合じゃない。この中でなにか面白いエピソードのある人とかいるの?
ぼくならベートーヴェンとのエピソードなんてオススメだよ。 二人が出会ったのは1812年。 ゲーテが63歳でベートーヴェンは41歳くらいの頃かな。二人で保養地だったテブリチェの森で散歩をしながら会話していたときのこと、二人の前にハプスブルグ家のルドルフ大公の一行とすれ違うことがあった。このときゲーテのは脱帽して礼儀正しく一行が通り過ぎるのを待ったんだけど、ベートーヴェンは偉い人たちを思いっきりスルーしちゃったんだって。 それにイラッと来たゲーテはベートーヴェンに「礼儀がなっていない!」って注意をしたんだけど、ベートーヴェンは。。。 「皇太子は世界に何人もいるが、ベートーヴェンはただ一人だ」 って言ったんだって。 この言葉に呆れ返ったゲーテはベートーヴェンと絶交しちゃったんだ。 お互い芸術肌でスゴい才能の持ち主だからそれは認め合っていたんだけど、性格の不一致はどうしようもなかったみたい。 それでなんか誤解したまますれ違っちゃった二人なんだけど、ベートーヴェンの死後、ゲーテと交流のあった作曲家のメンデルスゾーンから、 「。。。えっ、ゲーテさん、ベートーヴェンのことそんな風に思っているんですか? あの方はそんな人じゃないっス。ぼくが今すぐベートーヴェンの曲を弾きますから、感動したら考え直してほしいっス!」 って感じで『運命』を弾きはじめたんだ。
ジャ・ジャ・ジャ・ジャ〜〜ン♪ のアレね。
そう。 それを聞いたゲーテはこう言った。 「これは感動させるなんてものじゃない、ただ驚かせるだけだ、これはすごい! なんてひどいんだ!」 そのあとでこうも言った。 「これは大変な大作だ! まったくとてつもない! 今にも家が崩れ落ちそうだ。もし、これをオーケストラで演奏していたら、いったいどんなことになったろう」
なんていうかこう。。。素直じゃないというか、複雑な気持ちが入り混ざっているようにも聞こえるけど、それってやっぱり相手の才能を認めているからこそのものなのかしら。
実際ベートーヴェンは小さな頃からゲーテの本を読んで尊敬の気持ちを抱いていたそうだよ。だけど憧れが強すぎたのかな。その気持ちが直接会ったときに複雑な変化をみせて、ベートーヴェンに奇抜な行動をとらせてしまったのかもしれない。 よくあるじゃない。好きだった人が実は○○だったっていうのがわかって、帰り道に泣いたり喚いたりすることとか。
アンタと同じにしないで。 ま〜、とにかくこの二人のハイレベルでアーティスティックなプロレスは見ていて面白いわ。もっと詳しいことを知りたくなったら図書館とかで文献を調べてほしいわ。この短い休憩じゃぁ全部を伝えきれそうにないんだもん。 しかしあれよね、タケルも、 「総理大臣は日本に何人もいるが、竹馬タケルはただ一人だ」 って言える男にならなきゃいけないわね。
え、そっち!? じゃぁ、次はウーノの番だよ。
うーん。。。それがねぇ、この人の人生は突っ込みどころが少ないというか。。。隙が見当たらなくて困っているの。。。
いやいや! 色々あるでしょう。 例えばそのあまりに惚れっぽすぎる性格とか、70歳になってもまだ恋愛しようとしていたタフネスっぷりとか。画家になりたいなぁって思ってイタリアに行ったのはいいけど、ラファエロやミケランジェロの芸術の前に挫折しちゃったこととか。 恋に仕事に友情に。 一生青春やってたこの人のどこに突っ込めないのさ。
さっきから思っているんだけどね、ゲーテの才能というのはレオナルド・ダ・ヴィンチのように多岐に渡って発揮された。 政治家や法律家として社会に関わり、詩人や小説家として物事の在り方を表現し、知的好奇心の赴くままに科学者としての自分も楽しんでいたの。 この生き方ってとっても豊かで贅沢だって思わない? 理想と現実、夢と生活、趣味と社会との現代社会において矛盾しているもの同士がバランスを取っている状態。 アタシはね、今やこれからを生きる人にもこんな生活をしてほしいなって思って考えちゃって。確かにゲーテは才能豊かな人物だったかもしれないけれど、その本質は巨人のごとき人間的エネルギーにあった。この生き方ならお金だってそうかからないわ。現代社会を生きる日本人にもこんな人間らしい生き方ができたらいいのになぁって思っちゃって。。。
社会に役立って、個人の才能を発揮して、趣味も存分に楽しむ生活。三位一体の暮らしか。それはゲーテが家庭的にも運にも恵まれていたから実現できたんじゃないかな。 一概には言えない。 けれどもゲーテが備えていた人間的エネルギーも誰にだって身につけることはできるはずだよ。 それはどんなやり方かわかるかい?
ウー:う〜ん。。。わかんない。 サー:それはきっと、恋愛や人間関係で傷付いても何度でも立ち上がろうとする疾風怒濤の精神があったからなんじゃないかな。 友人の死や愛の破局を迎えても、ゲーテはただでは転ばなかった。それどころかそれを糧にしながら書いて強くなってきた。 ウー:。。。そうやって免疫力を付けてきたことが人間力につながっているってわけね。 サー:さっきちょっと聞かせてもらったけど、今を生きる人たちに見習ってほしいのはそういうところでさ、ちょっとやそっとのことで自分や社会を否定したり、失敗を恐れて悪循環を繰り返すんじゃなくってさ、何度もtry&recoverを続けていけば人間的なエネルギーも身に付くんじゃないかなって思うんだ。 ウー:シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)は自由な感情の発露を目指すこと。理性と形式を重んじる従来のロココ的な文学からの脱却を目指したゲーテのように、利益やルールに縛られた時代を脱却するにはこの思想も役に立つのかもしれない!
うん。 特別なことはいらない。 ダメで元々で、這い上がる心さえあればきっと。。。
。。。やっぱりラメね。 ゲーテのゴシップらゃぁ盛り上がらないらぁ。 らってこの人、素敵過ぎるんだろん。 おいサー帽! この際だからゲーテのいいろころを出しまくっちゃっちゃってって!! もう時間がないからぺターンと貼りなさい。ベターンと!!
。。。わ、わかった(ウーノ、酔いはじめている? 世界中の詩人から影響を受けてきタケルだけど、中でもゲーテからは詩人としての基礎的な感覚をもらった偉人。 リスペクトという意味で、色んな資料から抜粋した厳選の数行、研究していた箇所をそのまま貼らせてもらうよ。 ペタッ
【燃え盛れ!】 シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)の精神の炎が燃えあがる! そして、自分自身のなかから一切を生み出すこと、充実した感情を至純に発露させること、内部の実質は芸術の端緒であること、そして真に国民的な詩を創造すること、これがゲーテのモットーとなった。 【生き方の上手な詩人さん】 ワイマールでは、自分の存在の真実を放棄することなく、社会生活の迷路を動き回ることを休息に習得していく。 休息、急速?「休息」だとしたら、詩作の合間に働いて休むという価値観をもっているということになるので、こりゃすげぇ! 人間の生活に社会は必然のものであり、社会に礼儀と道徳と形式は必須である、と学んだ。人生において大切なのは、個人の要求を社会に要請と一致させることである、ということを理解した。 それ以上に、社会のために働く義務を快く負った。 と、あるように、自分や偉大な詩人さんに共通する「自由」とか「丸みのなさ」とか「人生無能力」的な面をださずに、しかも長生きして働きながら作家もしていたという、すご~い立派で大人な詩人さんだったのである。 【詩人的な居場所の確保】 ゲーテは「雑然とした町からのがれ、人々の愁訴、欲望、手のほどこしようもない混乱をさけるために」別荘によくでかけた。 別荘の重要性。ぼくも自分の隠れ家をつくろう。 【詩作の思索】 ゲーテは、自然と人間の織りなす世界を、感情や思想の内界を、もっとも豊富にえがいた。しかも、そのさいにかれが採用した形式は無類に多種多様であった。 もちろん、ドイツ文学の伝統的な諸形式をふまえて作詩しているばかりではなかった。 ギリシャ・ローマの詩形へとすすみ、さらにロマン系諸民族の詩形、八行詩(シュタンツェ)、十四行詩(ソネット)、テルツィーネ(ダンテの神曲のような三行一節の詩形)にうつり、最後にゲーテは東洋の旋律をも自由に駆使したのである。 とはいえ、ゲーテは、詩形に束縛されることはいささかもなかった。内発的に詩の必然に応じて、かれの言語的天才が発動したのである! 【勉強家・研究家・探求家】 文学作品と並んで、彼には膨大な美術研究論文と自然科学論文がある。 彼は自然科学者でもあった。鉱物学、地質学、解剖学、植物学、光学、色彩学などなどその分野は実に広く深い。 後述するように、数理・計算・技術的分析によって総合体としての自然の生命をこわしてしまわず、大きな生命、「光」を自然の中に見ようとする態度だった。 現代科学へのひとつの警告でもある。 【ゲーテ師匠の言葉】 「美しい魂」と出会うこと。 「人間はプロダクティブ、生産的・創造的でなければ何事をも体験し、享受することはできない。これこそ人間の持つ属性、いや人間の特性であると言って過言ではない。」 「実りあるものだけが真実だ」 「人生とは未来の保持だ」 「わが存在のピラミッドはすでにその基礎が固められているが、これをできるだけ高く空中にそびえ立たせようとするこの熱望は、他の一切事を圧倒してほとんど一瞬の忘却をも許さない。ぼくはぐずぐずしてはいられない。もうだいぶ年を取っているのだ。 運命によって挫折を余儀なくされ、バビロンの塔は未完成のままぶざまな姿をさらすことになるかもしれない。そのときはせめて、大胆な企てだったといってもらいたいものだ。もし命があれば、神の守りをえて、力を尽くして頂上までたどりつきたいと思う」 「オーケンやフンボルトのように科学で天才を示そうと、フリードリヒ大王、ペーター大帝、ナポレオンのように戦争や行政で天才を示そうと、ベランジェのように歌を作ろうと、すべては同じことで、肝心なのは、思想、着想、行為が生命をもっているか、生き続けることができるかどうかということだけだ」 【死の概念】 ゲーテにとって、死は地上の活動の停止を意味するのではない。 霊は地上をはなれはするが、それは新しい遍歴、あらたな努力精進のはじまりなのである。 その生きつく先はむろんわからない。それは永遠という他ない。 ファウストの「生」がこの世だけで終わるべきでないこと、彼の無限追及が真に永遠にわたるべきことは、ゲーテがずっと早くから考えていたことであるが、この考えは晩年に近づくにつれてますます強められていった。 むろん、生命はただ永遠であればよいのではない。 人間の向上心が不断に活動を求めてやまないならば、それは必然に永遠を求める。 いつまでも働くことをやめない生命は永遠を要求する権利があるはずだ、というのがゲーテの信念であった。 ゲーテは晩年の親しい友人ツェルターにあてて書いている。 「どちらが先立つかはわからないが、世界霊に召されて上天に帰るまではたゆまず働き続けよう。そうすれば、永遠に生きる神が、下界での私たちの力量にふさわしい活動を私たちに拒みはしないだろう」 「霊魂が不滅だという信念は私の場合、活動という観念から生じてくる。なぜといって、私が生涯休むことなく働いて、今の存在形式がもうこれ以上もちこたえられなくなったら、自然は私に別の存在形式を与える責任があるからだ」
サー:こんなかんじでいいの? ウー:えぇ! いいわよ!! もうアンタの好きにしなさいよ!! なんでアタシはカラスだの鵜の遺伝子を継いだのよ。。。なんでもっと優雅な白鳥や綺麗な極楽鳥じゃなかったのよぉおぉぉおおお!!! サー:(。。。し、しまった。。。酔いが回ると泣き上戸になって、最終的には絡みだしてバズーカをぶっ飛ばすタイプだったっけ。。。) ウー:え〜い、こうなったらもうゲーテのごとき疾風怒濤のウーノ砲でこの劇場ごと吹き飛ばしてくれるわぁあぁああぁあああ!!! サー:!? 観客:キャァアァァアアァァァアアアァァァァアアアアア!! サー:(。。。お客さんも気付いて混乱しはじめた! ここはもうボクがやるしかない!!)
ウー:ウえェEぇッ!! サー:うわぁあぁぁあああ!!
ウー:。。。アタシどうしちゃったのかしら。ちょっと記憶が飛んでいたわ。。。でもなんかすっごくスッキリした気分。 サー:あれ? 大爆発を受け止めるつもりが水鉄砲で助かったぞ。でもなんかクサいけどこれってもしかして。。。 双子&観客:うわぁああぁぁあああぁぁぁああああ!!!
【アナウンス】 ご来場のみなさまに申し上げます。 間もなく第2部の開演となります。 ご着席になり、しばらくお待ちください。 なお、白い鳥のお客さまのみ、 外でお体を洗ってからご着席ください。
サー:し、しまった。早く戻らないと間に合わないよ! ウー:ほら、アンタ鳥なんだからさっさと飛んで行きなさいよ!! サー:わ、わかった!!(バサバサッ!! ウー:あっ、でも飛び散。。。 観客:ギャァアァァアアァァァアアア!!!
【開演前ベル】 ting-ting-ting-ting-ting... ting-ting-ting-ting-ting... ting-ting-ting-ting-ting...