紹介劇『ジョン・キーツ』 《休憩中》

世界の詩人を紹介するショータイムのコーナー。それが世界詩人劇場(in イギリス公演)
人生の次は人間を知るための休憩時間。ノートリー兄妹がキーツの話題で盛り上がるってさ!

休憩中:『ハーフタイムは10分間』



    双子:・・・・・・・・・・・・

    ウー:、、、ちょ、ちょっと。アタシたち警備員にマジで外に放り出されちゃったわよ!どうしましょう!?

    サー:、、、こ、こうなったらもう開き直ってロンドン市内を観光しよう!



    ウーうるさい!!
    ◀【イギリスの大砲

    サーぎゃらがぁあぁぁ!

     なにがマズいって、この公演に来るまでの遠征費はスポンサー(未完文楽出版)から出資されているわけじゃない?

     イギリスに来てから知らない間にホテル代や食費以外にもそのお金が使われているし、ちゃんと第2部まで記憶しないとアタシたち干されることになるかもしれないのよ?
     旅して劇まで見られるこんないい仕事、そう簡単に手放したくはないわ!!


     わ、わかったよ。
     そ、それじゃぁまた劇場に戻る方法を考えるから、あの高い塔のてっぺんで話し合いながら休憩時間の間になんとかしよう。

     その代わりもし成功したら考え、
     少しは変えてよね?


     えぇ、約束するわ。
     でも誰がお金を使っているのかしら?

     休憩時間は10分間。
     その間にキーツのことでも話しながら考えましょうか。

     しっかし彼の人生はサーぼぉが言っていた通り、太く短い詩人の人生の典型ね。でもさ、こんな生き方や死に方をした人なんてたくさんいるのになんでキーツは気になる存在として残っているのかしら。


     それはキーツに明らかに優れた詩才があったからだと思う。

     実はキーツの公演において本当に重要なのはここから。彼が残した詩に対する考え方姿勢の中に見所があるんだ。

     決して派手ではなかったし、生前や死後の評価も際立って大きなものではない。
     だけど「惜しい!この人がもうちょっと長生きできたらきっとビッグな作家になっていたんじゃない!?」っていう香りが漂っているところに魅力を感じるのさ。


     ふ〜ん。やっぱりアタシには医者になって細くてもいいから長く健康に暮らして欲しかったけど、そう言われるとなんかさっきの人生でもよかったような気がするわ。

     それでキーツは一体どんな詩の考え方を残したの?


     そうだなぁ。。。
     それじゃぁまずは詩作に対する『姿勢』から入ってみよう。

     ボクの羽根を一枚だけ手紙に変えるよ。

     ていっ!




    【キーツの言葉と関連資料より】

           ああ 詩のために自己を砕く 十年の歳月が
          わたしは欲しい。そうすれば わたしの魂が命じる
           使命を 達成することができるかもしれない。


    「わたしの魂が命じる使命」とは、召命を受けた詩人としての「魂の不滅性」の発見にほかならない。その発見に、少なくとも十年の歳月を要するとキーツは考える。
     その詩人としての目標は、スペンサーやシェイクスピアやミルトンに置いているのであって、決して同時代のバイロンやスコット、ましてやハントに置くのではなかった。

         いったいこのような喜びに 別れを告げることができようか。
          そうだ、わたしは このような喜びを、人間の苦悩や
           心の争いがそこにある もっと高貴な人生に
                高めなければならない。


     ここに詩人としての真の使命が存在し、その使命とは苦悶の現実の直視である。キーツの詩想に感覚美は欠かせないが、その領域だけにとどまることは、現実からの逃避にすぎず、人道主義的詩人たり得ることはできない。
     詩人は、トータルな人間性に基づき、「人間の苦悶や心の争い」を通じて、より「高貴な人生」の達成を目的とすべきである。この詩人としての自覚は、当然キーツに楽園喪失の意識をもたらす。




    ウー:ずいぶんと高い志の持ち主だったようね。これってもうほとんど自分で選択したというよりかは、何かもっと大きな力に突き動かされてやらざるを得ないような人の心境よね。

    サー:そうなんだ。ウーノが言った通り詩を書いてもお金にならないし、社会的な身分も約束されない。それなのに医者を止めて詩人を選択した理由もここにある。

     つまるところ、キーツはその天賦の詩才によって自分が詩人であることを早くから自覚していた。
     その感覚はきっと人間の性別を判断するのと同じものだったんじゃないのかな。人間の場合生まれる前や生まれた後に身体を見て男か女かすぐにわかるじゃない?

     それとまったく同じでさ、人間が持っている個性や才能にもそういう一面があるんだ
     目に見えるか見えないか、お金になるかならないか。わかりにくいぶんどうしてもそこで迷ったり立ち止まったりしてしまうものなんだけどね。


     。。。なるほど。
     そう考えると医者か詩人かで迷っていたキーツに医者になって欲しいと言うことは、男の子に対して女の子になりながら暮らしなさいって言っているのと同じことだったのね。。。


     これは推測だけど、大体そんな感じだと思う。

     天賦というのはその言葉の通り、天から賦与(ふよ)されるもの。その使命をまっとうするには10年の歳月が必要だってキーツは判断した。
     サラリーマンが定年退職してからエベレストの山頂に登ることに挑戦しても時すでに遅いように、精神も若い時期から磨いたり鍛えておかなくては決して届かない場所がある。だからこそ医者の道を断念してまで詩人の道を選んだのだと思う。


     普通に考えたら医者になれば生活も安定するし、お金には困らない老後を過ごせるのかもしれないけれど、もうそんな頃には詩なんて書く愛も情熱も失っちゃっているわよね。。。


     だから「いったいこのような喜びに 別れを告げることができようか」というフレーズにも納得できる。

     さらに続く言葉によって詩作が単に綺麗な言葉の表現であったり、自分の気持ちを吐き出すための手段に留まってはならないという真剣な姿勢が見えてくる。

     実際それだけの勢いで書いていたし、作品の中にそれが見えるからこそ説得力があるんだけどね。


     世の中には自分のやりたいことがわからない人もいれば、こんなふうにやらざるを得ないことがあるから悩んだり苦しんだりしている人もいるのね。。。

     「お金にはならないけれど、自分のやりたいことをやって生きていきたい」人に見せたい物語だって言っていたけれど、なんとなくその理由がわかってきたわ。


     きっと同じ気持ちを抱えた人がいっぱいいると思うけど、これは詩だけに適応される話ではないんだ
     他の何にだって言えるんだけど、物事はすべて真剣に考えたり向き合うほどキーツが言った言葉のようになっていくと思うんだよね。

     今自分が好きでしていることを深く知ったり実践していくたびに、あらゆる物事は自分や個人や、上辺や見た目だけに捉われなくなっていく
     自分が好きでしていることを深く追求していくことは、いつか今までつながれなかった誰かや何かとつながったり、見えなかった価値や本質を見つけて活かすための手段に変わっていく


     ようするにさ、
     自分が好きなことで人や社会に役立てればハッピー!
     今はまだそうでないのなら頑張っていけばオッケー!!

     そんな感じでいい?


     OK!!



    サー:じゃぁ、次はキーツの『考え方』の優れた点を話題に取り上げて――

    ウー:――ちょっと待ったぁ!その話題はアタシに任せて。さっきまで医者になれ派だったんだけど、だんだん考えが変わってきたわ。

    サー:よっしゃぁー!

    ウー:、、、だけどアタシたち、なにか大切なことを忘れているような。。。

休憩中:『消極的受容力?』



    サー:ほらほら、もうあと5分間しかないよ。

    ウー:そうねぇ、サーぼぉが理屈っぽいことを話したからアタシは感覚よりの話から入りましょうか。

    サー:理屈っぽいって。。。

    ウー:右脳を司る感性のアーカイバード、ウー・ノートリーの名にかけてこの話題、活かしてみせる!よし、まずはさっそくアンタの羽根をひきちぎってーー

    サーギャア痛ァアァァ!

    ウー:――飛ばして貼るんだったわね!



    【消極的受容力】

    「詩人の才能は人間の救済のために発揮されなければならない」

     詩人というものは、この世に存在するものの中で、いちばん詩的でないものです―というのは詩人には自己同一性(アイデンティティ)がないからです――。
     詩人はつねに他者の中に入り込んで、それを充たすのです……。
     詩人が自我を持たないとするなら、またわたしが詩人だとするなら、もはやわたしが詩を書いているのではないといっても不思議ではありません。


    【消極的受容の哲学】

     彼が詩人として目覚めた「睡眠と詩」から、物語詩『エンディミオン』に至る過程で追究してきた想像力とは、おそらく次の手紙の文に要約されるであろう。

     想像力が美として捉えたものは、真実にちがいありません。それが以前から存在していようと、いなかろうと。というのは、情熱は愛と同じもので、それがまったく崇高なものになると、本質的な美を創造することになると思うのです。

     この文章は想像力と美の問題を述べたもので、一見非宗教的に解釈されかねない危険を含んでいるけれども、詩人はここでとくに、「崇高なもの」の意味を強調している。この「崇高なものになると」という条件付きの部分を注意して読めば、彼が言わんとしていることは、「崇高なものの本質は愛と同じもので、神の存在そのものであり、そこに美が見出される」とパラフレーズすることができよう。むろんキーツは「神の存在」という言葉をそのままに使用することは少ないが、存在の本質は神であることを、ワーズワス同様、信じて疑うことはなかったのである。
     ワーズワスの言葉は、キーツよりもいっそう簡潔である。彼は『序曲』の中で、「すべての真と美は、あまねく愛から生まれ」、「想像力がなければ愛も存在しない」と言う。
     さらに彼によれば、こうしたすべての精神は「宇宙創造の神に由来する」と言うのである。こうした宇宙観は、「睡眠と詩」以来、キーツもまったく同じ精神の信奉者であったと見なすことができよう。


     人間はおたがい辛抱しあわなくてはなりません。誰にしても、弱点をつかまれて滅茶苦茶に切り刻まれない人は、ひとりもいないのです。もっとも良く出来た人でも、その長所はほんの一握りで、一種の精神的酵母が内部で生存の酵母をつくっているのです。大切なことは、他人の過失を知って受身になることです。

     ベイリーが感銘を受けた詩人の寛容さとは、こうした「受身」の姿勢にほかならなかった。ハントやシェリーらの精神志向は、たぶんにプロテスタント的自己本位的であるが、詩人やベイリーが、そうした自己本位を否定する対極にいたのは、カトリック的受容性に基づくものである。この頃キーツがハズリットの著作『シェイクスピア劇の性格』によって得たシェイクスピア理解も、自己本位の超克を確認させたにちがいない。
     こうして詩人の内面世界は、人間を形成する特質についての哲学的考察を熟成させていた。彼は弟のジョージとトマスにあてて、偉大な人間がもつ「消極的受容力」について、このように伝えている。

     文学において偉大な仕事を達成する人間を形づくる特質、つまりシェイクスピアがあれほど所有していた特質、それが何であるか、ぼくは「消極的受容力」というものについて言っているのだが、人間が不確実とか不可解とか疑惑の中においても、事実や原因を究明していらいらすることのない状態を指すのです

     ここでもキーツは、シェイクスピアの詩的性格を論じながら、より多く自己の詩人としての生きかたを語っているように見える。詩人は風のように自由な存在であらねばならないという。
     それは偉大な詩人に共通する性格であるけれども、また同時に自分自身についての率直な感慨であったにちがいない。洋の東西を問わず、西行や芭蕉、あるいは杜甫についても、同じことが言えるであろう。実際キーツがすでに述べたように、詩人には自己同一性も、個性もないのであって、まったく融通無碍なる「カメレオン」のような存在なのである。
     だからこそ『ロミオとジュリエット』『オセロ』と、『リチャード三世』といった、まったく異なる芝居を、同じ詩人が書くことができる。この大詩人にくらべれば、キーツはまだ目ぼしい作品としては『エンディミオン』を書いたにすぎないが、その詩想は目にみえないところで、多様な展開を準備していたのである。


     シェイクスピアは可能なかぎり、自己中心性を排除した人である。彼は自分というものを全く持たなかった。だが他者にあるもの、ないしは他者に可能なものをすべて所有している。彼は自己の中にあらゆる能力、あるいはあらゆる感情の萌芽を宿していたばかりでなく、直感的にそれらを先取りして、あらゆる運命を操り、情熱の格闘や思考の転換を通じて、想像できるかぎりの細部に参入することができた。……彼は何かを考える時、それについてすべての事情に通じ、そのものとなるためにのみ思考するだけであった。

     ハズリットのこのようなシェイクスピア観が、この頃のキーツの思想に深くかかわりを持つことは言うまでもないだろう。彼の「消極的受容力」の思想は、「シェイクスピアがあれほど所有していた特質」と同じものであり、まぎれもなく詩人の思考の中枢部を領していたことが分かるのである。




    サー:、、い、痛い、けどキーツに関することで最も重要な資料を抜き取ったのはさすがだよ。まさか『消極的受容力』に目を付けるとはね。

    ウー:嬉しい!やっぱりそうだったのね。キーツが残した言葉の中でもひときわ重要に思えたから抜いてみたんだけど当たりだったわ!

    サー:ボクの羽根を当たりくじみたいに扱わないでくれ、、、。

     でもさ、何を言っているのかがよくわからないわ。その消極的受容力をもうちょっと簡単に説明してほしいんだけど。


     わかった。第1部でキーツが叙事詩を書いていたときワイト島に行った話は聞いたね。
     これは推測なんだけど、そこでシェイクスピアを読んだキーツはその壁の高さや大きさを目の当たりにした。普通の人ならシェイクスピアの凄さには気が付けない。ただ面白いか面白くないかで物事を判断する読者で止まる。そして能力に乏しい書き手ならそこで白旗を上げて尻尾を巻いてしまう。自分と相手の力の差くらいはわかるはずだからね。

     あれね。凡人には天才のことが見えないから怖くない。秀才には天才が薄ら見えて怖くなるっていう喩え的な。


     そう、だけどキーツはそこから目を背けなかった。
     きっとそこから目を背けては作家として何か大切なものを失うと思ったか、あるいは自分の才能に自信を持っていたのか。それで食っていく覚悟をしていたからなんだろうね。キーツはシェイクスピアを分析することからはじめようとしたんだと思う。
     他人の良さを解体して取り込んでしまえば自分にとっての大きな武器になるからね。

     その過程から生まれた一文かなぁと思う。


     消極的受容力というのは、
    『誰もが備えている自己同一性(自我、アイデンティティ、自分が自分である証のようなもの)を薄く消し去り、自分以外のありとあらゆる物事の目線で他の物事を捉えるための考え方、心の持ち方』のようなもの。

    「人の気持ちや相手の立場に立って物事を考えなさい」を自然や宇宙まで含めたスーパー拡大版みたいな感覚だよ!

     う、う〜ん、、、。
     わかったようなわかんないような。

     もうワンチャンス!


     絵にして説明するよ。

     ボクの羽根を抜いてペンにしてっと、、痛ぇ!!
    (※この鳥、もうじきハゲます。)



    サー:こんな感じ!

    ウー:う〜ん、わかったようなわかんないような。とても大事なことだからまた別の機会にして欲しいわ。
     とにかく自分を消して魂だけの存在をありとあらゆるものに移し飛ばして、その目線で物事を感じられるような、いかに遠くまで想像しながら違う物事にリンクできるのかみたいな?

    サー:そうそうそんな感じ。

    ウー:このニュアンス、たしか宮沢賢治もこれと同じようなことを言っていたわね?


     そうだよ。話すとまた長くなっちゃうから別の機会にしよう。この消去的受容力はあらゆる詩や物事を深く読み取る力、それから『万物照応』を理解するために必要な基礎知識だからぜひとも覚えておいてね。


     とにかくスゴい事を知るための能力なんだ。

     それって詩人だけに授かるもの?
     それともみんなに備わっているものなの?


     みんなの中に備わりながら眠っている。
     そう表現するのが正しいと思う。

     詩人が伝えたいことはその人それぞれにあると思うけど、タケルがやりたい仕事はそこにある。

     それを呼び覚まし、
     目覚めさせること。


     争いを減らすにも、自然を守るにも、まず一人一人が人や物事の気持ちを知らなきゃいけないわけじゃない?

    「平和が大切」とか「自然に優しく」って簡単に言ったって本当にそんな気持ちになることは難しい。だとしたらそこにある点と点との隔たりを具体的な言葉の線を持ってつなげていくことも立派な平和への一歩
     あらゆる物事に根っこを張り巡らせて生きていかないと、人はどんどん自分たちが生きている環境を悪化させていく。

     消極的受容力に実用性があるとしたらその資質に長けた詩人がそれを表現し、言葉にならない言葉をカタチにしながらありとあらゆる物事の中にある気付かぬ想いに気付かせる
     そうして自分以外のあらゆる物事もすべて自分につながっている・関わっているっていう照応感覚にもっと深く気付いてもらうことが詩人の仕事なんじゃないかなって思っているんだ。


     アナタ、
     そんなことばかり考えていたら本当にハゲるわよ。

     だけどそうね、キーツのみならず他の偉大な詩人も結局はその考えに近いものに辿り着いているわ。
     文献や歴史を調べれば調べるほど明らかに。つまりこれが詩人に共通する仕事ってことなら、ただでさえ曖昧だった世間や歴史上における詩人の存在や文章がまったく違った角度から光って見えてくるわよ!

     ヤダもぉ〜、キーツのおかげでアタシたち今日もまた大事なことを教わっちゃっ――

     ――ってヤベェ!!!!


    ウー:もう5分とっくに過ぎちゃっているじゃないの!?劇場に戻る方法なんてこれっぽっちも話していなかったわよねぇ、アタシたち。

    サー:も、もうこうなった突撃仕掛けてどっかに隠れて見るしかない!

    ウー:、、えぇ。日の丸精神で特攻を仕掛けましょう。サーぼぉ準備は?

    サー:(遺書をカキカキ。。。)

    ウー:さぁ行くわよ。さん――

    サー:――にぃ、、、

    ウー:――いち!

    双子突撃!!


    【アナウンス】
     ご来場のみなさまに申し上げます。

     間もなく第2部の開演となります。
     ご着席になり、しばらくお待ちください。

     なお、さきほど強制退場させたお客様が再び劇場への侵入を試みましたが、警備員の活躍によって無事に取り押さえました。観客の方々はどうぞ安心しながら続きをご覧ください。



    サー:、、、さ、さすがイギリスの警備。あっさり捕まっちゃったよ!

    ウー:これからアタシたちどうなるの!?

    サー:遺書にはロンドンの3つ星レストランのメニューになりたいって書いておいたけど。

    ウー:ハトはともかくカラスじゃ絶望的じゃない!この薄情者!!

    双子:#$%&#$%&!!

    【開演前ベル】
     ting-ting-ting-ting-ting...

     ting-ting-ting-ting-ting...

     ting-ting-ting-ting-ting...








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