紹介劇『ジョン・キーツ』 《第1部》

世界の詩人を紹介するショータイムのコーナー。それが世界詩人劇場(in イギリス公演)
今回紹介する詩人は『ジョン・キーツ』。華麗なる薄幸の詩人の人生を知る第1部、開幕!

開演前:『アナウンス』


    【アナウンス】
     ご来場のみなさまに申し上げます。
     本日は紹介劇『ジョン・キーツ』ストーリー劇場公演にご来場いただき、まことにありがとうございます。
     開演に先立ち、みなさまにご案内申し上げます。

     本公演の主人公、
     ジョン・キーツは、
     1795年〜1821年までを生きたイギリスの詩人、外科医見習い、医学生でありました。

     繊細な感覚から得た思想を華麗な美の中に表現し、25年の歳月の多くを詩作に費やした夭折の天才詩人です。作品は、

     詩集『詩集』(1817年詩集)
       『キーツ詩集』(死後出版された詩選集)
    叙事詩『エンディミオン』
       『ハイペリオン』(未完)
       『ハイペリオンの没落』(未完)

     など。詩の他に未完成でありながらも挑戦的な物語作品を残しました。

     それでは間もなく開演となります。
     ご着席になり、しばらくお待ちください。



    サー:イギリスには素晴らしい文学者やミュージシャンがたくさんいるんだよね。タケルがはじめて買ったCDもビートルズの『HELP』とチャゲ&飛鳥のCDだったなぁ。。。

    ウードンルックバッキンアンガー♪ ドンルックバッキンアンガー♪ アイハ〜ジュセ〜♪

    サー:いきなりなに歌ってんのさ。。。

    ウー:なにってイギリスのロックバンド、オアシスの代表曲をひとりで歌ってたのよ。ここだったらお客さんも自然と合唱に参加してくれるんじゃないかなって思って。。。

    サー:これだから育ちの悪い鳥は。。。
    (※彼らは同じ生まれ・育ちです)

     そこはヘイジュードとかイマジンとかだろぉ。

    ウー:あら、じゃぁサッカーはマンチェスターならユナイテッドかシティのどっちが好き?

    サーユナイテッド

    ウー:そう言うと思った!アタシはシティ派なのよ。これはあとで(空からタダで)観戦するマンチェスターダービーじゃぁケンカになりそうな予感がするわね。

    サー:フッ。。。ケンカになる前にスタジアムから退場させられないようにしないとね。

    【アナウンス】
     ピンポーン。

     そこの二人、イエローカードです。

     次、騒いだらこの劇場から退場してもらいます。



    双子(開始3分でイエローかい!)

    ウー:なぁ〜んでどこに行ってもこうなっちゃうのかしら。。。

    サー:こ、これからしばらくはフェアな観客を心がけよう。。。

    ウー:え、えぇ。そうしましょ。。。

    【アナウンス】
     お待たせしました。

     第1部は『キーツの人生』
     途中休憩をはさみ、
     第2部は『キーツの作品』の順に進行して終演とさせていただきます。

     それではみなさま、

     紹介劇『ジョン・キーツ』

     どうぞごゆっくりお楽しみください。


    【開演前ベル】
     ting-ting-ting-ting-ting...

     ting-ting-ting-ting-ting...

     ting-ting-ting-ting-ting...


第1部:『キーツの人生 〜水にその名を書きしもの』



    ナビ:ときは1795年。イギリスのロンドン。この地に25年の短い生涯を詩に捧げた詩人が誕生しました。
    (ウサギの足のかかとのあたり)





    ナビ:彼の名はジョン・キーツ




    観客パチパチパチパチ!(拍手

    ナビ:スウォン・アンド・フープ館という貸馬車屋に生まれたキーツはごくありふれた中流階級の家の中で育ちました。
     8歳になったキーツはクラーク学院という小さな学園に入学。ロンドンの近くの郊外地、美しい森や牧場や川などの牧歌的な風景の中にあるエンフィールドの学園で勉学に励み、牧場の羊たちと遊んだり、水泳やボートやクリケットといったスポーツを楽しみながら育ちました。


    ウー:なによ。ドイツ公演のゲーテよろしく今回もまた裕福コースな詩人を紹介しちゃうわけ!?

    サー:。。。いやいやウーノさん。今日紹介する彼はここから不幸の坂道を転がり落ちるような人生が待っているはずですぜ(ゲスな顔

    ウー:あらあら、日本人が大好物の若くして病に倒れる天才の展開が待っているのね!

    サー:。。。そうでさぁ。上のお写真を見てくだせぇ。あの好青年、いかにも幸薄そうな雰囲気を醸し出しているでしょう。

    ウー:雰囲気といい、作風といい。この詩人、誰かに似ているわね。。。

     この学院に入った翌年の春、子供たちの面会に来た父親の富ますが帰り道で馬車の転覆事故によって急死しました。その日は雨降りでしたが、酔っぱらい運転も大きな原因だったといわれています。この父親の急死により、キーツの一家の生活も大きく転覆していくことになります。


    サー:。。。なんか貸馬車屋さんが馬車で死ぬなんて皮肉だなぁ。タクシー運転手が仕事中に事故するみたいな。。。

    ウー:えぇ。。。いつの時代も「飲んだら乗るな」ってことね。

    サー「乗るなら女房」ってね。

    ウー:・・・・・・・・・・・・

    サー:・・・・・・・・・・・・

    観客:・・・・・・・・・・・・

     その後、母親のフランセスはすぐに別の男と結婚。
     この結婚相手の男性とは2年後に離婚するも、物心つきはじめたキーツ少年にとって、父の死から母親の裏切りの経験が精神的に大きなショックを与えることになります。

     ここからキーツはちょっぴりグレちゃって学校でケンカ大好き少年になっちゃうんだ。
     それはまぁどこの国でもあることなんだけど、今度はユダヤ人との結婚に失敗したキーツの母親に不幸が重なるんだ。そして肺病にかかって病の床につくことになる。


     えぇ、それなのにキーツは休日に家にいる母親に喜んだり、母親思いで看護や医者の使いになったりして献身的に働いていたそうね。それを母との思い出の中でいちばん幸せだっていっているキーツは純粋だけど哀しい子よ。。。


     そしてついに母は死んでしまいます。
     両親の死によってこれ以上学業を続けることができなくなったキーツは後見人のすすめにより、ロンドン郊外のエドモントンという町にあるトマス・ハモンドという医師のもとに、医学の修行のために書生として入り込むことになったのです。




    ウー:ここから伝説の医者『ジョン・キーツ』が誕生してハッピーエンドに向かうわけね!
     アタシはもうすっかりあなたの味方よ。がんばれキーツ!負けるなキーツ!アタシは最後まであなたを応援しているわ!!

    サー:。。。ウーノ、彼はこれから医者ではなくって詩人になっていく運命の人だよ。

    ウー:はぁ!?こんな転落人生から医者になれるチャンスまでもらっておいて、ひょっとしてキーツってお金持ちになれる医者よりその真逆の詩人になる方を選んじゃうってわけ!?

     バッかじゃねぇ!?

     今日の舞台のテーマはそこ。

     これはその才能ゆえに詩人にならざるを得ない宿命を背負った薄幸の青年による苦悩の物語

     そう言うとなんだかかっこいいんだけど、、、
     ズバッと言うと「お金にはならないけれど、自分のやりたいことをやって生きていきたい」っていう人、今の時代にもたくさんいるよね?

     彼の一生はそういう人にこそ知ってもらいたい人生なんだ。
     きっと何かを得られると思うよ。


     夢や希望、野心やロマンを持った人にオススメってことね。

     サーぼぉとはここでも意見が分かれたわね。
     アタシだったら安定した医者の人生を選択するわ


     ふふ。きっとウーノも彼の人生を知れば本当のロマンが何かわかるはずだよ。


     こうして医学校の研修医(地方医の資格ならば1年の短期研修でも免状がもらえたらしい)となったキーツは、トマス・ガイ医学校をきわめて優秀な成績で過ごしました。

     しかし、もう医師の資格が取得できるというその直前、キーツはその資格を放棄しました。このときキーツはすでに詩人になる決意をしていたからです。

     もちろん後見人はこれに激怒しましたが、キーツの決意はそれ以上に固かったのです。


     うおおおおおおおおおおおお!!

     信じられんわ。。。

     キーツのバカ野郎はなにしてんの!?!?

     。。。アタシがこの子の母親だったら頬っぺた引っぱたいたあとで抱きしめながら説得してでも止めたのにぃ!!


     確かにキーツに父親や母親がいたとしたらまた話は別だったかもしれない。

     だけどね、彼が本当の詩人だったらそんなことでは止まらないはず。続きを見てみて。


     キーツの審美的な詩質は彼が持つ生来のものでしたが、このときキーツに文学的な才能の開花に影響を与えた人物がいます。
     クラーク学院の校長の息子チャールズ・クラーク。彼はのちにシェイクスピア学者として有名になりますが、当時イギリス・ルネサンスの詩人エドマンド・スペンサーの詩美に魅せられ、キーツにもスペンサーを影響を与えていたと伝えられています。

     ここからキーツは文壇に足を踏み入れていくことになります。
     キーツは自作の詩をクラークに見せ、クラークはリイ・ハント(当時『ジ・エグザミナー』という政治と文学と演劇を論じた雑誌の編集者として、また『リミニ物語』の詩人として文壇で名を馳せていた)の客間に詩人を連れて行きました。

     ハントは詩の才能を見抜く力にも長け、後進の詩人の育成にも優れた手腕を発揮していました
     キーツもハントの影響を受け、彼の口調を借り、いくつかの感傷的で牧歌的叙情性を模した作品を書くことになりました。


     そして1817年3月3日。
     ジョン・キーツの処女詩集『1817年詩集』がオリア兄弟の経営する小出版社から刊行されました。


  •  この詩集には『睡眠と詩』など、キーツの代表的な詩作品や多くのソネットなどが収められています。

     詩人としての目的を人間主義の基盤に置き、牧歌的な詩美の展開を示しているのがこの詩集の特徴です。

     この詩集の批評はキーツの友人たちが書いた力も借り、なかなかの評判を得ました。詩人としての出発は経済的な利益にはなりませんでしたが、社会的には報われたと言ってよいものです。


    ウー:ほほ〜、医者を断念しただけの頑張りは見せているわね。でもこの評価って仲間内によるものでさ、よく本の帯にあるような「○○氏も絶賛した!」みたいな力を借りて得たものなんじゃないの?

    サー:鋭く言えばそう捉えることもできるよね。ここからキーツは一般の人の評価や文壇の派閥的な批評を受けていくことになるんだ。


     1817年の処女詩集の出版後、キーツは第2作となる長編物語詩『エンディミオン』執筆のため、南英で有名な保養地であるワイト島に渡りました。
     しかしここで詩人の筆は進みませんでした。同郷の文豪シェイクスピアの存在が現実的なものとして浮かび上がってきたからです。ここでキーツはシェイクスピアの作品を読むことに日々を費やすことになります。

     物語詩『エンディミオン』が出版されたのは1818年4月。
     このとき弟のジョージが新妻と共にアメリカへと移住することになり、ジョージ夫妻をリヴァプールまで見送った後、その足で友人のブラウンと共に北方旅行に出かけることになります。





     でた〜!
     よくある「書きたいから旅したい」のコーナー!!


     うん。
     ひとり旅というと気分転換や現実逃避、自分探しのような印象があるけれど、詩人にとって場の転換はとても重要なこと
     自分で望んでか、強制されてのことかはその人それぞれ。だけどもうこれは歴史的に見ても変化をもたらす定番になっているよね。

     その仕組みを具体的に表した関連文献を貼っておくよ。



    【詩人と旅】
     詩人がこの北方旅行を試みようとした直接のきっかけは、友人ブラウンからの誘いであったけれども、彼自身の自発的な気持ちがあったことは言うまでもない。新しい叙事詩の創作をひかえ、その詩想の熟成のために、これまでになく経験領域を拡大する必要を痛感していた。
     旅は豊かな経験をあたえてくれるし、多くの偏見をぬぐいさり、どんな苦難にもめげず美しい風景を探索し、宏壮な山岳の姿をわがものにすることで、詩の領域を拡げてくれる
     これが詩人の北方旅行の目的である。北方の山岳美の探索は、新しく詩想の領域を拡げるために、欠かせないものと考えられた。

     詩人は本質的に人生の旅人である。西行、芭蕉、それにロマン派のワーズワス、いずれもみな旅を愛し、旅に生き、旅そのものが人生となり、また詩ともなった。風の如く気ままに生きることを理想としたキーツも、またそうである。

     詩人のこれらのアウトローな人への共感は、社会的な不適応者への同情であり、またある意味で、風のように生きる詩人と彼らは、同種の人物なのである。詩人はできるだけ彼らと同じように、「好きなことして」気ままに生きたいのであって、そうした自由な生き方を、現実にこれまでしてきた。そしてこの旅そのものが、窮屈な日常性からの解放を意味した。

     なるほどねぇ。
     経験領域を拡大する必然性があるから詩人にとっては旅が必要不可欠なんだ。いろんなところへ行ったり自由を求めることにもちゃんとした理由があるわけね。

     「キーツはこれまで南英の各地は方々訪れたことがありますが、北方イングランドとアイルランドとスコットランドをほとんど徒歩で行こうという、、」ってこれ大変よ。

     あのウサギのような地図の足から頭まで歩いていこうとするってことじゃないの。


     この旅行でキーツは新しい経験を取り込み続けた。
     寒い地方ならではの険しい自然や人々の生活、南とは異なる文化との接触。キーツはこうやって実際の見聞を通して、より一層過酷な人生のリアリティーを体験してきた。

     だから目的を持った良い旅というのは気分転換ではなく新しいインプットを通してアウトプットを変えるために、現実逃避ではなくリアリティーを追求するために、そして自分探しではなく他者をより深く知るためにするものなのかもしれないね。


     旅先で悪性のカゼにかかり、衰弱したキーツは3ヶ月近い旅行を切り上げてロンドンに帰ってきました。
     そこでキーツに待っていたのは弟のトムが肺病にかかり、きわめて深刻な状態に陥っていたこと。そして出版した第2作『エンディミオン』に対する厳しい批判でした。
     雑誌に掲載されていたのは「コックニー詩派について」と題する、ハントを中心とするシェリー、キーツなどへの詩風の違いに対する悪意に満ちた文章。

     しかしキーツは、病床の弟の看病に勤めながらも風評をものともせず、ギリシャ神話を題材とした没落神の叙事詩『ハイペリオン』の執筆をはじめるのでした。



    観客Yeahhhhhhhh!!

    サー:いつの時代でもどこの場所でも自分の考えと違う人をあぁだこうだ言う人がいるけどさ、こういう姿勢は見習いたいものだよね。

    ウー:えぇ、立派よね。そして2作目にして叙事詩に挑戦しているあたり、やっぱりキーツは大きな才能を持っていたっていうことが伺えるわ。

    サー:うん。4千行にも及ぶ寓意(ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表すこと。また、その意味)叙事詩。つまり象徴の塊によってつくった物語!これは詩人として生まれたのなら一生に一度はやってみたいよ!!

    ウー失敗したっていいからいつかは挑戦したいわね。ここからキーツの恋愛話がはじまるみたいよ!

     キーツの女性関係は、主としてふたりの女性、ひとりは詩人とは年齢が6、7歳年上のイザベラ・ジョーンズという未亡人と、5歳年下のファニー・ブローンの2人に限られます。


  •  中でも詩人の人生をかけた恋愛対象となった女性はファニー・ブローンただひとり。

     色白でプロポーションのいい少女であったファニーは健康的で、明朗な性格であったと伝えられています。
     キーツの手紙では「美人で上品、優雅で無邪気、ファッショナブルで変わった娘」という表現を使って彼女のことを褒め称えています。

     1819年、キーツが23歳(あるいは24際)の頃、ひとつ屋根の下に住むようになったブローン嬢への恋心が激しく燃え上がります。

     この年の秋にはふたりの間で婚約を交わすにいたるまで関係が進展しました。

     キーツの人生ってあと1〜2年のはずよね。。。
     この恋の情熱ってつまりは消える前のロウソクの炎のようなものかしら?


     そう言っても大げさではないと思うよ。

     ジョーンズ夫人との関係は若い青年と未亡人との火遊びに近いものであったのかもしれないけれど、ブローンに対する恋は真剣だったはず。

     キーツに関する文献の中でもこの1819年と1820年は詩作の面においても多作の時期だったことがわかった。ワイト島に行ったことも関係しているけれど、やっぱり恋愛や情熱の炎は創作面にも素直に出てしまうもの。愛する想いが純粋で誠実であればあるほどそうなっていくのだと思うよ。




     結婚を前提とした恋愛に発展して半年もたたない後、キーツは自分が絶望的な病に冒されていることを知ります。
     1820年の冬にはじめての喀血(かっけつ)を起こし、医師でもあったキーツは自分の状態の深刻さに気付きました。

     かれは母親や叔父や弟も、みな肺病で死んだのです。

     この出来事のすぐあと、友人のブラウンに自分の死期が迫っていることを打ち明けました。それとは逆にブローン嬢に対する思いはその激しさを増していくことになります。


     キーツの偉大な詩作の期間はほとんどこの頃。
     珠玉のオード、物語詩『レイミア』『ハイペリオンの没落』、悲劇『オットー大帝』もこの時期に書かれたもの。

     命尽きる前の美しい詩人の魂が恋愛の炎によって太陽のように燦然と煌めいているような状態だったんだと思う。


     それからキーツはブローン嬢との恋が破局になることを受け入れることにしました。このときキーツ25歳、ここで彼の人生におけるすべての出来事は終わりを告げました。

     1820年の9月、キーツは医師のすすめによって、イタリアでの転地療養に出かけることになりました。金銭の都合は出版社と友人がつけ、最後の別れになるかもしれないという状況ではブローンズ母娘も、出発までのわずかな日々を手厚く看護をしてくれました。

     それからのキーツはナポリに着き、ローマのスペイン広場にある、アンナ・アンジェリッテの持家の2階部屋を借り、英人医師の治療を受けての闘病生活がはじまりました。

     ところが病状はますます悪化。
     友人のセヴァンは夜も眠らずに背中をさすってやったり、日中は書物を読んで聞かせたり、時には料理さえつくってくれました。

     そして1821年の2月23日、詩人がローマでの臨終の日を迎えることになります
     キーツの臨終は実に立派なものでした。死の苦痛を通り越したのち、神の御慈しみを信じ、らくに息を引き取ったと伝えられています。

     墓碑には「水にその名を書きしものここに眠る」
    ("Here lies one whose name was writ in water")

     の文句を選びました。

     死後の前日、友人にローマの新教徒墓地の下見を行い、そこに詩人の好きな雛菊の花が咲いていることを知りながら、今でも彼の遺体はその中に眠っています。

     詩人の臨終の住居は、キーツ・シェリー記念館として、ローマの観光地で有名なスペイン広場の右側にそのまま保存されています。

     ロンドンのウェントワース邸も同じように、キーツ記念館として世界中から多くの訪問者を迎えています。



    双子パチパチパチパチ!(拍手

    観客パチパチパチパチ!(拍手

    ウー:ようするに早くに両親を亡くし、安定した仕事を捨て、恋して旅して詩作をしたのがキーツの一生だったってわけね?

    サー:そう。キーツの例に挙げられるような生き方は詩人の典型といっていい。美の追求のために詩作に時間を費やし、捕まえられない蝶を追いかけ続け、やがて力尽きていく

    ウー:やっぱり納得いかない!せっかくの医者になるチャンスを棒に振ってまで詩作に捧げた人生だったのにさ、報われているような場面が全然なかったじゃん。医者になって自分の身体をもっと大切にしながら長生きした人生の方がよかったって思わない!?

    サーボクはそんなふうには思わないな!例え短い命でもキーツが自分で選んだ人生を太く短く貫いたことが重要なんだ!

    観客ザワザワザワザワ。。。


    【アナウンス】
     ピンポーン。

     これより、10分間の休憩とさせていただきます。
     休憩中、飲食は――


     ――そもそもねぇ、どっちかっていったら悪道揃いのオアシスやマンチェスターシティの方が好きっていう割にはアウトローな詩人の人生にケチをつける方がおかしいと思うね!!


     それはアンタも同じでしょ!今となっちゃぁ伝統と保守的な立場のビートルズやマンユー好きのアンタなら医者になる人生を選ぶべきじゃないの!?



    双子:#$%&#$%&!!

    観客ザワザワザワザワザワザワザワザワ。。。

    【アナウンス】
     ピピーッ!!

     ――たった今2枚目のイエローカードが出されました。

     そこのお二方、この劇場からご退場願います



    双子:・・・・・・・・・・・・

    ウー:えっ、まさかアタシたち?マジ!?

    サー:、、うそ、、、


    【アナウンス】
     ピンポーン。

     その通りです。

     すみやかにご退場願います。



    双子お、オワタ。。。






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